永遠の妖精 オードリー・ヘップバーン

こんにちは、株式会社リトルグローブです!

マリリンモンロー特集も終わり・・・次はどうしようかな、と考えていました。
そしてこの前アニメ「銀魂」を観ていて、「ローマの休日」のパロディがちょうどでてたんですね。

ローマの休日・・・
オードリー・ヘップバーンだ![ひらめき]

ということで、今日からは名女優、オードリー・ヘップバーン特集といきたいと思います。
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幼い頃、大好きだったオードリー。
思い出を振り返りながら、名女優オードリーヘップバーンについてかいていきたいと思います[ぴかぴか(新しい)]


Audrey Hepburn

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オードリー・ヘプバーンは、イギリスの女優。
オードリー・ヘップバーンといえば誰もが憧れる理想の女性ですよね。
彼女はほっそりとしていて(身長170cm、体重50kg)、スリムなモデルの元祖と言ってもよいでしょう。
しかし、彼女がスリムなのには理由があったのをご存知ですか? 
実は、第二次世界大戦中に食べ物に不自由したことが原因だったのです。

1939年、ナチス・ドイツはポーランドに侵攻し、時代は戦争の影に覆われ始めた頃、オードリーはロンドンの女学校に通っていました。
そこで、ドイツによるロンドン空襲を心配したお母さんは中立国のオランダの方がより安全と考えて、娘のオードリーをオランダへ呼び寄せました。

1940年、ドイツはオランダを占領し、お母さんの財産はすべて凍結。
また、オードリーのいとこはレジスタンス活動に加わり列車爆破計画が発覚し強制収容所へ送られ死亡する悲劇。

食事の配給は少なく、卵が食べられるのも週に1回がやっとでオードリーはひもじさのあまりバレエの練習もできなくなるほど。
それにより、彼女の代謝系はダメージを受けてしまい、彼女は体重の増えにくい体質になりました。

ご存知のようにオードリー・ヘップバーンは映画の世界で輝かしい成功を収めましたが、私生活においては度重なる流産により、なかなか子宝に恵まれませんでした。
それは、母親願望の強い彼女にとってはショッキングなもので、特に1959年の「許されざる者」撮影中の落馬がもとで流産した時はひどかったようです。


そのような人生の軌跡を描き、晩年のオードリー・ヘップバーンは、終戦時にUNRRA(国連の機関)からの食糧援助によって自らの飢えから救われたことへの恩返しの気持ちで、世界中の国を回り子供達を飢えから救う活動に全精力を捧げました。

飢え、流産と多難の道を人生の過程で歩んだオードリー。
彼女の愛らしさと洗練された魅力は、辛い時代の暗さを乗り越えたゆえに一層際立ったのかなと株式会社リトルグローブは思います。

そんな、永遠の妖精オードリー・ヘップバーン。
次回からは、オードリーの主演映画についてかいていきたいと思います。



Twitterまとめ投稿 2011/07/28 [映画]


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